パラリンピックが始まった

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1年半前、リオデジャネイロ・パラリンピックの開会式をテレビで見ていた私はこう思った。

「あ・・・仕事しよ。」

介護離職して3年。母も回復してきたのでそろそろ働かなくちゃと思っていた。だが一歩を踏み出す勇気がなかなか出せず、どこの職場で働こうか迷ってもいた。

そんなときに「仕事しよ」と思わせてくれたのがパラリンピックの聖火点灯だった。豪雨の中、転倒しても笑顔で立ち上がったり、車椅子で急な傾斜をのぼる聖火ランナーの姿はものすごくかっこよくて、
「私もちゃんと生きよう」
と思ったのだ。ズルをせず、前を向いて、ちゃんと生きる。雨が降っても、転倒しても、笑って再び立ち上がる。そんなふうに生きたいと思った。だからその場で電話をかけて、開会式が終わる前に面接を決めた。

あれから1年半。再びパラリンピックが始まった。開会式の今日、私はデイサービスの仕事だった。自作の人生ゲーム(ゴール直前に「振込詐欺に遭い全財産を失う」がある)をやったり、お風呂介助をしたり、わいわいとお昼ごはんを食べたり。

今日のおやつは手作りケーキだった。利用者さんと一緒につくったんだけど、うまくいかず、カチカチに硬いケーキになってしまった。それでも利用者さんたちは
「あらまあ、なんて歯ごたえのあるケーキ!」
「もうちょっと焼いたらクッキーになるで」
「でも味はおいしいで、味はいいで!」
大笑いしながら食べてくださった。
みんな優しい…。
正直、働きにきてるのか癒されにきてるのかどっちだ、って感じなのだ。

これからも、パラリンピックが始まるたびに私は自問自答するだろう。
・・・私はちゃんと生きてるかな?
まあ適当でいいねんけど、って。

本日の猫写真。

うちの家電は、押した番号を音声で教えてくれる。たとえば「1」を押すと「いち!」と言うのだ。さっき電話が
「さん!さん!」
と狂ったようにさんさん言い出すから、何かと思ったら、シシィがお尻で「3」のボタンを押しまくっていた。
「さん!
さん!
さん!
さん!」
シシィはもしかして・・・サンジを呼んでるのか?

コメント

  1. こんにちは。
    リオのパラリンピックの、転びながらも立ち上がった聖火ランナー、マルシア・マルサラさんですね。
    彼女は1985年のニューヨークで開催された1984年のニューヨーク・アイレスベリーパラリンピック陸上200メートルの金メダリストだそうです。
    実はわたしも、同じ場所に、おりました。
    なので、リオのこのエピソードは、とっても心に残っています。

    84年は、東西の緊張が一番高い時期で、ロス五輪の開催前にパラが開催されたので、警備が非常に厳しかったのです。

    でも、大会そのものは和やかで、今みたいに超人アスリートがそうそういるわけでもなく、楽しい思い出がたくさん残ってますよ。
    だださんのブログで、懐かしい思い出がよみがえってきました。

    • こんにちは!
      Sisiyさんはパラリンピックをご覧になったか参加されていたということでしょうか。
      会場が2つに分かれていたなんて不思議です。
      「参加することに意義がある」とよく言いますが、
      当時のパラリンピックは今よりもっとそういう雰囲気だったのでしょうか。
      今回の平昌は北朝鮮とかアメリカとか、スポーツとは関係ないところでやかましかったです。
      外交に利用されないでほしいものですね。

  2. 選手として参加してました。

    その頃はパラリンピックという呼称は使えず、
    国際障害者スポーツ大会と呼ばれてました。

    今よりもはるかにゆるーく、ゆったりした大会でした。
    (だからわたしみたいなのが選手で派遣されちゃったんでしょう)
    しょっちゅう「お前は緊張感がなさすぎる!」とコーチに怒られてました。

    わたしはこの時が初海外。
    思えばこのNYの経験があったからこそ、その後どんどん海外へ遊びに行くように
    なったんだと思います。

    帰国した後にも東宮御所でのお茶会出席とか、珍しい経験をたくさんできましたよ。

    どうしても時の政治に影響を受けてしまうのですが、平昌の選手たち、楽しんで、そして実力を発揮できますようにと願ってます。

    • おおお!
      Sisiyさんって、すごい方だったんですね!
      今ならパラリンピアンという呼称がありますが、当時はなんて呼ばれていたのでしょう。
      東宮御所のお茶会出席ですか。
      いやはや驚きました~!
      でも緊張感はなかたんですね(笑)
      貴重なお話ありがとうございました。

  3. パラリンピアンなんて呼び方が出てきてたのはつい最近のことではないかしら。
    普通に「選手」と呼ばれてました。
    一年のうちで、県大会、国体、国際大会と、あれよあれよという間の出来事でしたね。

    • そうなんですか~選手ですか。
      当時はまだ大会に出られるような選手も今ほど多くなかったのでしょうか。
      母が言うには、うちの田舎では座敷牢みたいなものがわりと普通にあった時代だそうですし…。
      パラリンピック見てるとほんとにかっこいいし、感動するし、もっといろいろな分野がバリアフリーになればいいなと思います。

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