うろ覚えだけど『幸せな介護のために』みたいなタイトルのWEB記事を読んだ。わりと一般的な介護アドバイスの記事だと思うんだけど、コメント欄はびっくりするほど罵倒の嵐だった。その多くが
「『幸せな介護』なんて幻想だ!」
「この程度のアドバイスで『幸せ』になるなんて、ありえない!」
「この記事を書いた人は介護をしたことがない!」
とやたら『幸せ』に噛みついている。自分が実際に介護をしてどんなに大変か、『幸せ』な介護からどんなに程遠いか、切々と書き綴っている人もいた。
幸せな介護などありえない?
そんなのあたりまえだ。
介護そのものが、幸せなことじゃないのだから。
誰だってピンピンコロリといきたいと願っている。
誰だって介護なんかされたくない。
誰だって介護したくない。
でも、しょうがないやん?
介護って否も応もない。
ある日突然やってきて、有無をいわせず押しつけられる。
選択権もなく断りようもない(選択権がある人はラッキーだ!)
ほとんど天災みたいなもの。
それを幸せなんて呼べる人はいない。
「わあ、介護が始まったの?おめでとう!」
なーんて誰も言わないし。
WEB記事のライターさんだって、ただ単に「ちょっとでも介護が楽になる道を探そう」くらいの意味で『幸せな介護のために』というタイトルをつけたのだろうと思う。不幸の数を数えつづけるよりも、そのほうが楽になるんじゃないかって。
・・・幸せって、なるものじゃなく、見つけるもの、気づくものだから。
介護しながらでも幸せを見つけよう。幸せに近づこう。
そういう思いだったのだろう。
でもコメント炎上させた人はたぶん、キツイ介護に疲れ果て、ちょっとでも幸せに近づいた人を見ると、うらやましくて腹立たしくて、暴力的になっちゃうんだろうな。逆に、自分よりもっとキツイ介護をしている人を見ると・・・うん、これ以上はやめとこ。
なんか、悲しくなった。介護しながら幸せになってもええやん。
ふと見ると母がコーヒーをこぼしていた。まあ、よくあることだ。覆水盆に返らないから怒っても嘆いてもしかたない。それどころか母は
「ねえ見て! じょうずにこぼしたでしょう?」
お盆から1適もあふれなかったでしょと、自慢している。すごいラッキー!と私は記念写真を撮る。私たちはいつも、そんな感じだ。