言葉って難しい。
ほんのわずかな言葉の違いが、ひとの心を和ませもするし逆立てもする。
たとえば今日、こんな話を聞いた。
デイサービスで誘導の声掛けで
「お食事ができましたよ」
と言ったあと、なんと続けるか?
「◯◯さん、食堂へ・・・」
「行きましょう」
「行きましょうか」
「行きましょうね」
・・・一緒やん!
と思ってしまった。
一文字。
たった一文字!
だが、母に言わせればぜんぜん違うらしい。
「行きましょう」は誘いかける言葉。
「行きましょうか」は行くかどうか尋ねる言葉。
この2つにはまだ「イヤだ」と拒否する余地がある。
だが
「行きましょうね」
は一方的で返事を求めない言葉だ。利用者には言い返す隙がない。柔らかな強制の言葉なのだ。
ごくごく些細なことだけど
「ずーっと『〇〇しましょうね』って押し付けられるとイヤになる時があるのよ」
と母はこぼす。車椅子を自分で動かすこともできないから、逃げることもできないのだと。
「あ、でも一番大事なのは、その人の人柄。声のトーンとか言い方なんだけどね?」
・・・さよかいな。
私はなんて言ってるかな?
我が身を思い返してみた。
デイサービスで食事のとき・・・
「◯◯さーん。ご飯できましたでー。あっち行って食べまひょかー。早よ食べな、私がぜーんぶ食べちゃいますよー」
母は
「ええー、まあ、いいけど」
と苦笑いしていた。
母がデイサービスの利用者仲間に
「うちの子、ぜんぜん面倒みてくれへん。どないしたら、あんたとこみたいに介護してもらえるのん?」
と相談されたそうだ。
「わからんわー」
と母は答えた。
・・・私に言わせるなら
「子供は親の背中を見て育つ」
ってことなんだけどなー。