親孝行が嫌いになった理由

今年はいつもより花が美しいように感じるのは、私に花をみる余裕があるからだろうか。庭のスミレは絨毯になるくらい咲いたし、街路樹のニセアカシアはここ10年で一番の花盛りだったし、土手は明るいオオキンケイギクに覆われて…

・・・きれいだけど、これ特定外来生物やん。広がったらダメなやつやん。きれいだけど。

それはさておき。

私は近頃、「親孝行」という言葉が苦手になった。母の介護をしていると「まあ、親孝行ねえ」なんてほめていただけるが、正直、ぞわりとする。

その理由は・・・ほんのり漂う偽善の香りというか。
儒教の香りというか。
「しなくちゃいけない」という呪縛感というか。
義務感というか。
少なくとも私は親孝行という義務を果たすために介護してるんじゃない。

まあ、現代の「親孝行」という言葉には、なにかしら罪滅ぼしの意味もあるように感じるのだけどね。

ある人が言ったんだ。
「●●さんちの息子は、親の介護をぜんぜんしないで施設に入れてしまった。不孝者だよ」

家族の有り様はさまざまであり、親子の距離感もまた、それぞれに違う。それは他人にはわからないことだ。虐待を受けていた家族だっているだろう。口をひらけば諍う家族もあるだろう。必ずしもぴったり寄り添うことだけが良い方法だとは思えない。そんなのは不幸せな介護をうむだけだ。

血の繋がりがあるとはいえ、人間関係は難しい。「家族だから」なんてきれいごとが通じない家だってたくさんあると思う。

たくさんの家族をみてきたケアマネやケースワーカー、介護士の中にも
「介護=親孝行=子供の義務」
という考え方をもっている人がいる。この構図がまるで呪いのように感じられて、私は近頃、親孝行という言葉が苦手になった。親孝行は必ずしなくちゃいけないものじゃない。

本日の猫写真。

甘えて甘えて甘えまくって、寝た。なんてお気楽なんだろう猫は…。

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介護
猫とビターチョコレート

コメント

  1. 娘「おとっつぁん、おかゆが煮えたよ」
    父「(咳き込みながら)すまねえなあ、お前にこんなことさせちまって」
    娘「それは言わない約束でしょ」

    …な場面が皆さん大好きなんですよ(笑)
    本当は、そういう健気な感動シーンにうるうるしてる自分が好きなだけじゃないのーって思ってます(黒笑)
    「○○のくせに」「〇〇なのに」「〇〇の分際で」
    麗しい国ニッポンは主観で相手を格付け・役割強制するのが好きだから(溜息)

    • 本当にねえ。
      日本人は型にはめるのが大好きですもんね!
      「こうでなくてはいけない」
      っていうのほんと迷惑です。

      >本当は、そういう健気な感動シーンにうるうるしてる自分が好きなだけじゃないのーって思ってます(黒笑)
      なるほどー!
      「可哀想に~」って見下して「同情してあげる私優しい」ですか(笑)

      あと、どうでもいいことなんですが、おかゆ煮たくらいで
      「すまねえなあ、こんなこと…」
      って言うことは、実はその娘は、普段は何もしてないってこと!?と思ってしまいました。
      まあ、オムツ交換の場面はできないか。