楽ちん介護で申し訳ない

初対面の方に
「在宅介護してます」
っていうと、だいたい同じ反応がかえってくる。
「まあ大変ね!」
そのたびに私はちょっといたたまれない気持ちになる。
「大変じゃなくってすみません…」

介護っていうと十把一絡げに
「大変!」
「辛い!」
「暗い!」
とマイナスイメージばかり持たれるんだけど、全部が全部ってわけじゃない。たしかに母は身障者1級をもってるし介護度も重い。が、それらと介護の「大変さ」とは比例しないからだ。

母の場合、ひとりで起き上がることもできないし、オムツしてるし、着替えもぜんぶ私がやらなくちゃいけない、ついさっきのことも忘れてるし、以前は妄想だらけで私のことさえ分からなくなってた。・・・でも、それが何?

ひとりで起き上がれないから徘徊や転倒など危険もない。トイレもオムツも着替えも慣れればどうってことないし、忘れっぽいのも妄想だらけなのも笑いとばしてブログのネタにでもすればいい。こんなものはぜんぜん、まったく、大変じゃない。粗相がナンボのもんやねん。

私にとって大変な介護というものは、徘徊するとか、ウンチ食べちゃうとか、暴言や暴行がひどいとか、昼夜逆転してて寝かせてもらえないとか、進行性の病気だとか、そういうイメージだ。目が離せない介護。たとえばうちの妹は、一瞬たりとも私がそばを離れることを許さないし、夜も一睡もしてくれないから、これはちょっと大変だと思ってる。

そういう介護と比べたら母のことなんて、介護と呼ぶことさえおこがましい。
だから
「大変ね」
と言われるたびに
「楽な介護で申し訳ない」
と思ってしまう。・・・まあ、言ってもしょうがないんだけど。


(お弁当をたべる母)

3日ぶりに2人バイオリンの練習をしたら、すっかり弾けなくなっていた。母は楽譜がほとんど読めなくなっていた。たった3日さぼっただけで!
「なんでこんな簡単なことができなくなっちゃったのかしら」
母は落ちこむし、私もイライラしてきたので、練習をストップして
「よし、気分をかえよう!」
と強制的に公園へ連れていった。小鳥の声を聞き、春の日差しの中でお弁当を食べた。淡い新緑が美しかった。

帰宅したら母は楽譜の読み方を思い出していた。ゲシュタルト崩壊が治ったみたいな感じらしい。
「もっと練習しよう、もっと弾こう」
とはりきって、なんと1時間以上も弾き続けた。12月に練習を始めた頃は「1曲でも弾けるようになれば」と思ってたけど、今では4曲ぜんぶ弾くことが目標だ。

「もし私が一人で弾けるようになったら」
と母は言った。いつもこれを言うんだ、夢みているみたいに。・・・でも今日は、少し違った。
「もし私が一人で弾けるようになっても、1曲は2人バイオリンで弾こうね」
2人バイオリンはおもしろいから。私と弾きたいから。そう言ってくれた。すごく嬉しかった。

これを介護っていうのなら、私は母の介護ができて、すごくすごく幸せだ。

でもこんなに楽ちんなのは、こんなに幸せなのは、今だけだって思ってる。介護はいつかは終わるものだ。「果てがない」とも言われているけれどいつかは終わくるものだ。そして終わる前の介護が一番つらいはずなのだ。私の介護はこれ以上楽になることなく、将来的には一般的なイメージどおりのものになる可能性が高い。笑っていられる「今」の幸せをしっかり噛みしめておこうと思う。

本日の猫写真。
「写真とるからこっち向いてー!」
と猫たちに呼びかけたら、
「今忙しいねんけど」
って言われた。

邪魔してごめんなさいよ・・・。

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