妹を入所させた時のこと

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先日「介護は慣れたもん勝ち、あきらめたもん勝ち」と書いたけど、その記事に反応があって思い出したことがある。妹のことだ。以前にも書いたかもしれないけど、すぐに埋もれるから、たまに書いておこうと思う。妹を施設に入れたときのことを。

私より7つ下の妹・U子には重度の知的障害と身体障害がある。自力では座ることもできず、読み書きもできず、言葉もほとんど話せない。それでも毎日施設に通い、仲良しのヘルパーさんと遊び、人生を謳歌していた。

けれども母が倒れた。
U子の主介護者であった母が。
父はもちろん何もできない。

私は一通りの世話はできるが、生死の境をさまよう母と妹を同時に看ることなんてできやしない。しばらくショートステイさせたあと、近所のグループホームにお願いすることになった。昼間は施設に通い、夜は仲良しのヘルパーさんに介護してもらう。U子にとってすばらしい環境だったと思う。

だがそのグループホームには2つの欠点があった。
家から近すぎること(呼ばれる)。
そして週末は家に帰ってくることだ。

もともとU子は「寝ない子」なのだが、母が倒れてからまったく眠らなくなった。睡眠薬を増やしても効かない。そのせいか夜は不安定になり声をあげるようになった。ホームでもそれはあったようだが、帰宅した夜は酷かった。私がそばにぴったりと張り付いていないと大声で呼び、激しく叫ぶのだ。おちおちトイレにも行けない。

それでも妹一人のときはまだよかった。U子が落ち着くように絵本を読んでやったり、深夜テレビを見て過ごした。イケメンの話題や恋バナもや、内緒話はいつも盛り上がった。

半年後、母が退院して在宅介護になった。
ほぼ寝たきりで妄想だらけの要介護5。

知的障害のある妹は、自分と同じような状態になった母を見て動揺し、さらに不安定になった。さらに眠らなくなり、昼間でも私の姿が見えないと大声で呼ぶようになった。夜はといえば、私がすぐ隣に寝ているにもかかわらず、一晩中、私の名前を呼び続けるのだ。
「だだ、だだ、だだ、だだ、だだ、だだ・・・」
と、一晩中。お経みたいで地味に怖かった。

金切り声もパワーアップ!
「ギャオー!ガオー!キャアアアオ!」
声量も叫び方もゴジラみたい。昼夜問わずで、よくご近所から警察を呼ばれなかったことだと思う。

妹は平日はグループホームで過ごすので、家に帰ってくるのは土日だけ、最後のほうは日曜だけになっていた。週にたった一晩か二晩だけのこと・・・って思うでしょ?
週にたった一晩でも、一睡もできないのはつらかった。
そのぶん次の日に眠れるってわけじゃない。
夜勤みたいにお金をもらえるわけじゃない。
辞めようと思えば辞められるわけじゃない。
体調が悪いからって誰かに交替してもらえるわけじゃない。

毎週末のことなのだ。
毎週、毎週、毎週。
来週も来月も来年も。
生きている限りずーっと金切りゴジラに付き添わねばならない。
1銭にもならずただ体力と気力をゴリゴリ削られるだけの夜。
これが親ならあと20年で終わりがくるかもしれない。
だけど7才下の妹だ。
これが死ぬまでつづくんだ。

年末年始は地獄だった。グループホームも通所施設も1週間近く閉まるからだ。私はそのあいだずっと眠れない夜を過ごした。妹はクリスマスだろうが大晦日だろうが休みなく叫びつづけてた。

私はなんとか妹を静かにさせようと努力し、なだめ、すかし、甘やかしたり叱ったりした。無視したり一緒に叫んだり、体を拭いてやったり着替えさせたりした。話しかけたり歌ったり、おやつを口に入れたりした。

ありとあらゆる手を使ったがダメだった。何をしてもどうやっても、妹はキーキーと叫びつづけた。耳元の高音でもう気が狂いそうだった。

今日がクリスマス・イブだと思うとさらに悲しくなった。「イブの夜に一人は悲しい」なんて言う奴はぜいたくだ! いつでも妹を貸してあげるのに!
「サンタさん、プレゼントなんて望まないから、せめて1時間でもこの子を眠らせてください」
と祈りを捧げた。

深夜3時になると疲労と眠気でカッとなって、とうとう手が出た。平手で妹の太ももを叩いた。それと二の腕と。
「ダメ!」
と母が泣いた。動けない母が妹をかばおうとベッドから一生懸命に手をのばしている。
「私がなんとかするから、あんたは部屋をでていなさい」
と言ってくれた。いつもは妄想の世界で生きてるくせに、母は母らしくそう言った。妹の肌は赤くなって指の跡が残っていた。

叩かれても妹は平気だった。むしろゴジラ3頭分くらいにパワーアップしただけだった。それでも私はその晩以降、妹を叩かないように、でも爆発した感情を逃すために、ベッドとか壁とかを叩くようにした。どんどん叩いた。ガンガン叩いた。バンバン叩いた。気がついたら手から血が出てた。
「もういいよ、もういい」
ある夜、母が叫んだ。
「もう無理だよ。施設に入れよう。『自立の家』にお願いしにいこう。U子もわかってるよね?」
救われた、と思った。たぶん妹も同じだったんだろう。神妙な顔で「うん」と返事をしたから。
私はこれで妹を殺さずに済むと思った。

それでも申し込みをしていた施設から
「空きができたので入所できますが、どうしますか」
と電話があったときは即答できなかったように思う。罪悪感がハンパなかったからだ。

私がもっといいお姉ちゃんなら、妹は今までどおりの生活を続けられるのに。
私さえ頑張れたら。
私のせいで。
妹は普通の人生を送れないのだ。
まだ30才なのに、まだまだ人生これからなのに、施設に閉じ込められてしまうのだ。
そう思うと耐えられなかった。

妹を入所させた夜は罪悪感で泣いた。面会に行くたび
「帰りたい」
と訴える妹を見るのがつらかった。どんなに凶悪なゴジラでも妹は妹なので可愛いし、申し訳ないのと不憫なのとで泣けてしかたがなかった。

けれどこのまま家にいたら、きっと私はまた手を上げてしまう。
妹を傷つけてしまう。
そうしたら両親も傷つくだろう。
家族を守るために入所は避けられないことだ。
そう自分に言い聞かせた。

何が言いたいかっていうと、無理なものは無理だってこと。
人間は睡眠をとらずに生きていける生物ではない。
こればっかりは慣れでは解決しない。

そして大事なのは、入所を決めたのが私ではなかったことだ。
「施設に入れよう」
と母が言い出したことだ。
日本人って、介護って、どこまでも「頑張らねば!」と思ってしまう。自己犠牲を強いてしまう。
ブラック企業に勤めてたときもそうだったけど、心を病んでしまうと限界がきていることに気がつかない。頭では分かっていても自分から折れることができないのだ。

施設に即答できなかったのもそうだ。入所させてくださいと、在宅介護はあきらめますと、自分の口からは言えなかった。
そこを母がきっぱりと
「入所させます」
と返事をしてくれたから助かった。当時の母は妄想ばっかり見て、ときどきは私のことも分からなかったくせに、U子に関しては本当にしっかりしていたと今でも感心する。

すでに絶望的な状況に陥ってるのに、それを認めることができない。
頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ、と自分を追い込んでいる。
それは病んでいる証拠なのかもしれない。

のんびりいこうや

だから私は思うのです。
施設入所は、主介護者だけで決めなくていいんじゃないかな。
その決断は、あまりにも重たい。
一人で決めるには重たすぎるんです。
その責任を他の人と分け合えたら、少しは楽になるかもしれない。
・・・いらないお世話はいらないんですが。

コメント

  1. 読んでいて涙が出ました。
    だださんのお気持ち、わかります。
    お母様、ご立派です。

    心の中にはたくさんの感情が渦巻いているのだけれど、これ以上の言葉が出てきません。

    • ありがとうございます。
      入所させる時ってみんな大変なんですよね。
      母がいてくれてよかったです。

  2. 以前にも妹さんの入所までの軌跡を読ませて頂いたのですが、また改めて拝読し苦しく切なく、涙が止まりませんでした。だださんの本意ではないとは思いますが、本当に胸が痛みます。私なんかが、大変でしたね、とか間違って無いですとか言っても………とても空虚なセリフになってしまいますが(泣)うまく言えなくてごめんなさい。

    お母さんの偉大なる母の愛、それはもちろん2人の娘それぞれに同等に与えられ、だからこその決断。それ以外には考えられませんよね………。良かった、と心から安堵してしまいました。

    妹さんは、選んだ服を喜んでくれたかな?💕

    • ありがとうございます。
      つらかったけど、ほっとしたんですよ。
      たぶん妹も。
      母親って、どんなに朦朧としてても、母親なんですよね。
      大したものだと思います。
      入所の話は何回も書いてるので、書くたびに微妙に変わってきてる気がします。
      年月がたち、再び書くことで気づいたこともあります。

      あ、服、まだ送ってないです。。。
      郵便局行くのめんどくさーい(笑)
      月曜に行きます!

  3. 愛情が強いほど、身近にいるほど、葛藤が大きかったのですね。自分ががんばればなんとかできるんじゃないかと。でも、なんとかできないこともあるのだと、状況を想像して思いました。介護者が幸せでないと、介護は続けられませんね。「自分が幸せか」ということをいつでも思い出してみることが長く続けるために大事かもしれませんね。

    • どう足掻いても、どうにもならないことがある、ということがもう分からなくなってるんですよね。
      頑張りすぎちゃってると。
      そして介護者は自分の幸せはほとんど期待していません。
      すごく難しいことなので・・・。
      だからこそ思い出すことが必要なのですね。

  4. 舅と姑が同時期に車椅子の要介護状態になった時、「在宅で看ます」と言い出したワタシの決断を大いに喜んだのは義理姉でした。何でも手伝うからとも約束していただきました。
    ケアマネに報告したら、温厚な人だったのに人が変わったように激怒され、「絶対無理です、ひと月も保ちません」と断言されました。
    結果、義理姉の約束は見事に反故にされ(笑)、ケアマネの危惧していた通りになりました。
    それでも、ワタシの窮地を知るや、ケアマネ氏はいち早く施設に強く掛け合っていきなり10日間のショートを決めてくださったり、定年退職で担当を外れるまで、本当にお世話になり、親身になって助けていただきました。
    ワタシは家族というより「良い嫁」呪縛でヘタ打った口ですが、家族は家族であるがゆえに冷静に判断し決断することはとても難しい。
    誰もがまさかの坂を登れず、よもやの靄を抜けられず、不利で不幸な運命に捕まってしまう危険に晒されています。
    母上もとてもお辛かったことと思いますが、その一言が家族を救い、護り、未来を繋いだのだと思います。
    母上が立派だからこそ、だださんのようなしっかり者の長女さんが育ったのですね。

    • お嫁さんて大変ですね・・・
      そしてケアマネさんてありがたいですね!
      義姉さんがアテにならないこともも予想されていたのでしょうね。
      障害者には(当時は)そういう制度がありませんでした。
      >家族は家族であるがゆえに冷静に判断し決断することはとても難しい。
      まさにそのとおりですね。
      母は私も妹も両方を守る方法をちゃんと知っていました。

  5. だださんの妹さんへの愛情、お母さんの愛情、
    ものすごく強く伝わってきました。
    大切な家族だからこそ、施設入所の決断が出来ないこともありますよね。
    介護者は頑張りすぎてる事もわからなくなってて、手が出ちゃったり、暴言吐いちゃったり。

    私もそうでした。母が倒れたとき、知的障害の兄の世話がしんどくて、兄に暴言の嵐でした。
    今はグループホ―ムにお世話になっています。
    離れたことで、兄とは穏やかに接することが
    出来るようになりました。
    グループホ―ム入居をすすめてくれたのは、ダンナでした。その当時の私は完全におかしくなっていたので。

    介護者以外に誰かと分けあえたら、ずいぶん楽になると思います。一人の決断はほんと重すぎます。
    だださんのお母さん、とても愛情深いお母さんですね!

    • ありがとうございます。
      弟妹よりも兄姉のほうが精神的につらいんですよね。
      適度な距離をとることは大切です。
      とくに兄弟はその必要があると思います。
      本当にお疲れさまでした。
      ようこさんには優しいダンナさんがいらっしゃってよかったです。
      私にはそういう人がいないのでケアマネさんに助けてもらおうと思っています。

      • 主介護者ではない人が
        打開策としての「決断」をすること。

        それが時にどれだけの
        救いになるのか…
        今回の内容を読ませてもらい
        痛切に実感しました。

        詳しく状況を書いてくれていて…
        想像を絶する状態を
        ぎりぎり越えるまで頑張られていた姿に
        、お母さまが母としての力を
        発揮する姿に目頭があつくなりました…。

        だださんのご家族へのサポート
        献身的だったり、本当に
        よく考えていたり良くしていこうと
        実践され続けている姿に
        何度も、自分の気持ちが
        支えられたり良い刺激を
        もらっています。

        施設に移られるまでの日々が
        どれだけ限界値を超えていたことか…

        「自分次第」という位置づけ?
        のようなものは、かなりの
        危険をはらんでいるのかもで…。

        私は父母が施設に入った
        きっかけが、自分の体調だったため…
        新型コロナで、会えない、出れない
        親の状況に時に苦しくなります。

        ある程度、自分の体調が回復しているので
        本来、在宅に戻してあげたいのですが…
        いろんな兼ね合いを考えると
        決断できずにいます…。
        今一度、自分ができること
        見直してみたいです。

        だださんが、日々妹さんのことを
        想っている気持ち。
        きっと空間超えて、妹さんに
        しみわたってることかとおもいます

        はやく新型コロナよ
        おさまれーっ
        おさまれーっっ

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