「そんなもの」って言われるけれど

昔から、道端で気になるものを見つけると、カメラを向ける癖がある。
花とか。
葉っぱとか。
空の雲とか。
信号機の長ーい影とか。

通りかかる人はそんな私を見てときどき妙な顔をする。
「何もない所でいったい何をしているんだ?」
今日もスマホのカメラを構えていたら、通りがかかりの女の子が、妙なものを見る目つきで私を見ていた。
近所の子だろうから、こんにちは、って声をかけたら無視された。
女の子の顔にははっきりとこう書いてあった。

「 不 審 者 !」

ちなみに、そのとき私が撮っていた写真は、蜘蛛の巣についた雨のしずくです。

たしかに蜘蛛の巣をじーっと眺めてたら不審者に見えるわな

昔から、鳥の巣とか道端の石ころとかを見たくて、よく立ち止まったっけ(子供はみんなそうだと思うけど)。そしたらいつも大人に邪魔された。
「そんなものより、さっさと歩きなさい!」
そんなもの、って言われるのがいつも癪だった。私にとっては大事なものなのに。

大人になってからも同じ。ゴルフ場で働きはじめて間もなく「今日はどうだった?」ときかれて
「今日はチョウゲンボウが飛んでいました!」
と報告したら、
「そんなものはどうでもいい」
と先輩に笑われたっけ。まあ、たしかに仕事には関係ないな。

でも、今でも同じことを思う。たくさんたくさんの「そんなもの」が今の私をつくってるのだと。通学路にあったツバメの巣とか、疲れきった職場に咲く真っ青なリンドウだとか、旅先の夕日だとか、友達とみあげた白い月だとか、亡くなった利用者さんの庭に咲いていた小さな花だとか。そういうものが隙間だらけの私をうめてくれて、だからなんとか日々を生きていけるような気がする。

このあいだ、口の重い利用者さんが野鳥好きだとわかって、初めて話がはずんだ。山にいるミサゴやチョウゲンボウや、これから渡ってくる冬鳥の話をした。
「チョウゲンボウ!どこで見たの?」
利用者さんは鳥の話ができて嬉しそうだった。「そんなもの」って言われたことが、仕事で役に立つこともある。